先月(2024年11月)は、仕事がとても忙しくて、写真やカメラを扱うことがほとんどできなかった。

休日に家族で出かけて子供の写真を撮ることはしたが、それ以外の写真を撮ったりRAWデータの現像作業などは全くやっていない。

この「できなかった」について、今回は少し考えてみようと思う。

なぜ、仕事が忙しいと、写真が撮れなくなるのか

私は写真(とカメラ)が趣味である。

他にもいくつか趣味はあるが、今現在で一番楽しいと思える趣味は写真だと思う。写真の何がそんなに楽しいのかと聞かれると、答えに大変窮するのであるが、とにかく楽しい。

この楽しいという感情も、言語化していくとまた何か写真について見えてくるものがあるのだろう。(今後ブログの記事にするかもしれない。)

しかしながら、仕事が忙しくなると、どうしても写真やカメラを扱う時間を削ってしまう。

一番楽しいはずの写真を後回しにして、仕事という全く楽しくないことに時間を費やしてしまう。

仕事が忙しい時期でも、睡眠時間を削れば写真やカメラに時間を使うこともできなくはないが、睡眠時間を削ってしまうと仕事のパフォーマンスが著しく下がってしまうので、そういった無理はしないようにしている。

その結果、仕事が忙しかった先月はほぼ写真に触れる時間がなかった。(ブログの更新もまったくできていない)

一ヶ月もの期間、写真やカメラに触れていないと、なんというか、大きな後悔と罪悪感に苛まれる。

  • 「この1か月の間にしか撮れない写真があったかもしれないのに」
  • 「1か月間も放置してしまうものを趣味と呼んでいいのだろうか」
  • 「自分は本当に写真が好きなのだろうか」

写真から長い間離れてしまうと、そんな自問自答が頭の中で繰り返される。

「写真やカメラを触りたい」とは毎日思う

仕事が忙しくても、「写真やカメラをやりたい」とは毎日思う。

その証拠に、仕事が忙しかった先月も、通勤用のリュックには毎日ミラーレスカメラ(α7RIII+Loxia50mm)を入れて持ち歩いていた。

それに加えて、通勤用のリュックには、これまた毎日Macbookが入っている。現像したいRAWデータは山のようにあるし、ブログにアップしたい写真も同じく山のようにあるので、少しでも時間があれば写真に触れたいという気持ちの表れである。

それでも、私は仕事が忙しいからと、夜まで残業をして写真を後回しにしたのである。

「仕事」と「写真」を比較して、「仕事」を選んだということ

人間は、知らず知らずのうちに、色々なことを比較して選択していると思う。

「ただ普通に生活している」ように思っていても、毎日の生活の中には無数の比較と選択があり、誰しもが自分の中の基準で選択を繰り返しながら生きているはずである。

例えば、今日は朝食にパンを食べたが、「米」と「パン」とを比較した結果、「パン」を選択して食べた、といえる。家に米がなくてパンしかなかったのなら、それは数日前にコンビニで「数ある食べ物の中からパンを買う」という選択をした結果なのである。

こんな感じである。

こんな感じで、大なり小なりの無数の比較と選択をしてきた結果が、今日の自分なのであるように思う。

そんな風に考えると、「仕事が忙しい」といって「写真を後回しにした」のも、私自身の選択ということになる。

「仕事」と「写真」とを比較して、「仕事」のほうを無意識のうちにに選択していたのだ。

「仕事と趣味だったら、「仕事」のほうが大事なのは当たり前じゃん」と思う人もいるだろう。いるだろう、というか、大多数の人がそう思うだろう。

生活をするためには、仕事をしてお金を得る必要がある。しかも、写真という趣味を続けていくためには、ある程度のお金が必要になってくる(カメラ・レンズ・パソコンなど)。

ただ、仕事の量をコントロールして(減らして)、趣味に多くの時間を費やす、という選択肢は、ある。

会社の上司に掛け合って、業務や役職を減らしてもらえば、今よりももっと写真に取り組める時間は増えるだろう(当然給料の額も減るのだが)。組織に所属している以上、自分の仕事量を減らすのは簡単なことではない。

しかしながら、不可能というわけでもない。時間をかけて取り組めば、ある程度の仕事量のコントロールは可能だろうと思う。

それなのに、先ほどの「比較と選択」の話からすると、私は「仕事の量を減らす」という選択をしなかったということになる。

そういった選択をしなかったし、今後も多分しない。

これから先も、私は「写真」よりも「仕事」のほうを選択し続けるだろうし、「仕事」が忙しいと「写真」を後回しにするのだろうと思う。

「仕事」=「お金」

色々と小難しく書いたが、結局は「お金」が欲しいのである。仕事を優先するということは、そういうことだ。

お金を十分に持っていないから、楽しい写真の時間を削って、毎日嫌々仕事に向かうのである。

それでは、なぜそんなにお金が欲しいのか。

ここであと一歩だけ踏み込んで考えてみる。

「たくさんのお金が欲しい」と思う。なぜか。

  • 自分が生活する分ではない
  • 自分一人が生きていくためであれば、そこまで仕事を頑張る必要はない
  • 新しいカメラやレンズを購入するためでもない
  • 新しい機材のために写真を撮る時間を削るなんて、本末転倒である

色々考えていくと、「家族と生活していくため」、特に、「子供をきちんと育てていくため」のお金が欲しいのだと気がつく。

そうか、私は、子供を育てていくために、自分が好きな「写真」という趣味の時間を削って、仕事をしているのか。

ここまで考えて、少し安心した気持ちになった。そして安心した気持ちになると同時に、なんだか納得した気持ちにもなる。

「忙しいから写真が撮れない」の正体

「忙しいから写真が撮れない」を自分なりに深掘りをしたところ、私が「写真」という趣味を犠牲にして選択していたものは、「子供」だったということだ。

綺麗事が過ぎるような気もするが、私のブログなので多めに見て欲しい。

いままでは「忙しくて写真が撮れない」と感じると結構なストレスを感じていたが、これからは気持ちのやり場ができた気がする。

「子供のために仕事を頑張っているんだ」と、自分自身に胸を張って、夜まで(たまに朝まで)残業でもなんでもしてやろうと思う。写真は仕事が落ち着いてからやればいい。

私のように「仕事が忙しいから〇〇ができない」と悩んでいる人も、自分自身が仕事を優先する真の理由を解明していけば、その後の気の持ちようも少しは変わるのかもしれない。