私の家の近所に大きい道路があるのだが、その道路沿いにイチョウの木が並んでいる。

少し大きなイチョウの木が間隔を空けて並んでいるだけなのだが、寒さと同時に急に現れた大きな黄色は、結構目立つ。

道路を歩く近所の人たちも、イチョウの黄色を見上げたり、見上げなかったりしていた。

イチョウの黄色が綺麗だったので写真を撮ってみた。(α7RIIIとLoxia50mmで撮影)

イチョウの写真など(α7RIII+Loxia50)

家の近所の写真だけど、黄色いイチョウが入るだけでそれっぽい写真になった。

ただの落ち葉でも、Loxiaで撮ると雰囲気が出る。

今回の一番のお気に入りはこれかもしれない。青と黄色。

縦の写真も撮ってみたり。

紅葉をあと何回撮れるのだろうか

黄色に紅葉したイチョウにカメラを向けながら、季節の写真を撮るのはやっぱり楽しいと思う。

桜とか向日葵とか雪とか、その季節季節でしか撮れない写真には、通常の写真にはない何かが乗っかっているように思う。

「その季節にしか撮れない」という刹那的なレアリティが、写真を見た時のこちらの感情を動かしてくるのかもしれない。

そんなことを考えながら、ふと思う。

「自分はあと何回、紅葉したイチョウの木を撮れるのだろうか」

日本人の平均的な寿命からすると、私はあと50年くらい生きる。つまり、秋はあと50回くらいしかやってこない。その50回の秋の中で、体が元気で動き回れる秋は何回あるのだろうか。

「紅葉なんて毎年来るのが当たり前」と思っていたし、「紅葉なんてさほど珍しいものではない」と思っていたが、

これからの自分の人生の中に紅葉は実はもうあんまり残っていないのかもしれない。

紅葉に限ったことでもない。春の桜も、夏の向日葵も、冬の雪も。

いろいろな季節の出来事の残基が、毎年1ずつ減っているのだと気がついた。

できるだけ毎日カメラを持って、写真を撮っておこうと思う。